私は、2021年の10月にジャックラッセルテリアのメス「ぺろちゃん」を家族に迎え、夫婦2人と1匹で暮らし始めました。
その時に「世界で一番幸せな犬にする」と心に誓いました。
というのも、中学時代に飼っていた犬と納得のできるお別れができなかったからです。
犬を飼うこととお別れすることはセットです。
ちゃんとしたお別れができなければ、心にしこりを残したまま、生きていくことになります。
この記事では、私の体験談を通して、犬のことをきちんと学んで、お世話することの大切さをお伝えしたいと思います。
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【犬を3歳で亡くしてしまった後悔】
今から書く内容にはショッキングな内容も含まれています。
でも、犬について知識も愛し方も知らない人間が、犬を飼うとこんな不幸なことになるという恰好の事例だと思うので、包み隠さず書きますね。
中学1年の時、市報に載っていた「犬譲ります」の投稿を見つけ、興味本位で母と見に行き、あまりのかわいさに連れて帰ってしまったのが、プーちゃんとの出会い。
家族で犬を飼おうなんて話し合ったことはありませんでした。
ほんとに、ただのノリで連れて帰ってきた。
両親共働きだったわが家。
ばあちゃん(母の実母)がお世話を押しつけられる形で、プーちゃんとの生活が始まりました。
何よりも勉強を優先しろと言われてきた私は、勉強でいっぱいいっぱいで、お世話らしいことはほとんどしてあげられませんでした。
犬を連れ帰ることを許可した母は、その責任を私になすりつけ、気まぐれに頭をなでるだけでした。
当時、親は犬は「畜生」だという認識で、正しい知識を学ぶこともなく時は過ぎていきました。
避妊手術後から、プーちゃんは超肥満犬になりました。
ごはんの適正量なんて計ったこともなかったし、喜ぶからとおやつはしょっちゅう与えていました。
それでも、誰もそれを問題だと思っていませんでした。
プーちゃんは分離不安で、トイレは外でしていたので、要求鳴きはいつものこと。
家族ぐるみで親交のあった近所のお兄さんが、それを不憫に思って散歩を手伝ってくれていましたが、そのうちにプーちゃんにチョコレートを与えるようになってしまった。
お世話になっている後ろめたさもあって、家族の誰もそれを指摘しませんでした。
そして、プーちゃんが3歳になった頃、腎臓疾患による尿毒症を発症。
金銭面の理由から、両親はプーちゃんの治療を放棄。
預けられた病院で、プーちゃんは誰にも看取られずにたった1匹で死んでいったのです。
最期はオスワリで父を見送ったそう。
そのことを私が聞いたのは、学校から帰って、プーちゃんがすでに畑に埋められた後のこと。
私は最期のお別れもさせてもらえませんでした。
お世話をしてくれていた近所のお兄さんは責任を感じて、薬を大量に飲んで自殺未遂。
ご近所付き合いにも亀裂が入ることに。
その後は、まるで何もなかったかのように、家族の誰もプーちゃんのことを話題にしようとしませんでした。
私自身、そんなうちの異常さに気づけないまま大人になったけど、それでもプーちゃんへの後悔を抱えて、ずっとモヤモヤしていました。
夢の中にプーちゃんが出てきて、泣きながら目が覚めることも何度もありました。
犬1匹の命でさえ守ってやれないのに、私は一体、何のために勉強をしていたんだろうと。
うちは「機能不全家族」だったんですね。
【犬は人を幸せにしてくれる動物】
そんな私が犬を飼うことにした理由は、子供を授かれず、ただ漫然と年をとっていくことに嫌気がさしていたこと。
プーちゃんにしてやれなかった後悔がなくなるわけじゃないけど、もう一度、チャンスがほしいと思いました。
夫にも全部話をして、「世界で一番幸せな犬にしよう」と心に誓ってぺろちゃんをお迎えしました。
ジャックラッセルテリアは、狡猾で、パワフルで、しつけの難易度は高いとされる犬種。
悪戦苦闘する中で、プーちゃんのことが何度も頭をよぎりました。
もっと学ばなきゃ。
そう思った私は、家庭犬トレーナーの資格を取得。
しつけや動物行動学に関する本を読み漁り、お散歩仲間と情報交換したりして思うことは、私は犬が大好きってこと。
プーちゃんとぺろちゃんのおかげで、私は人生を生き直せているような気がします。
学びの中で、プーちゃんが常に不幸なわけではなかったとわかって、少しだけ後悔の念が軽くなったところもある。
犬って、ちゃんと付き合えば人を幸せにしてくれる動物なんだってことを、私は身をもって感じています。
【幸せなドッグライフに貢献したい】
だからこそ、これ以上プーちゃんみたいなかわいそうな犬を増やしたくありません。
1匹でも多くの犬と1人でも多くの飼い主の、幸せな暮らしに貢献したいと思ってブログを書くことにしました。
私自身も学びながらの発信だし、人によって・犬によって、考え方はさまざまなので、必ずしもこのブログが正しいとは思いません。
でも、1つだけ言えることは、愛犬に「きみは、幸せかい?」と問い続ける姿勢が大切だってこと。
そう思うきっかけを作れたらいいなと思います。